川上音二郎・貞奴物語 平成22年度博多座「市民檜舞台の月」川上音二郎100回忌企画公演

日時:2010年12月12日(日) 開演時間:(1)開場10:30/開演:11時00分(2)開場15:30/開演:16時00分 会場:博多座 〒812-8615 福岡市博多区下川端町2-1

はじめに

 西洋化・近代化を目指した明治政府。そんな時代の中で、歌舞伎ではない新しい舞台を目指し、破天荒な演劇人生を歩んだ男と女がました。福岡は博多が生んだ川上音二郎とその妻、貞奴。夢を持っては破れ、また立ち上がって突き進んだ2人。時には滑稽に、時には泣けてくる2人の生き様は、ついには海を越えて、世界の多くの人々の心を動かしていきます。その生き様を描くことで、地元博多が生んだ音二郎のことを知ってもらい、博多の再発見を!この博多の地で生まれ育った音二郎の物語を、100回忌にあたる2010年に「博多座市民桧舞台」にて上演企画いたします。
 原作並びに脚本を漫画家で、長年、川上音二郎を追い続けてきた長谷川法世氏が手掛け、共同脚本と演出を、いまや全国の演劇ファンにもその名が届く、ギンギラ太陽'sの大塚ムネト氏があたります。背景となる明治という時代の活力は、博多座の花道を使い、100名規模の行進や群舞でも表現し、また、一世風靡した、「オッペケペー節」は市内の小学生を参加させ、一大絵巻としてお客様にお届けしようと思っています。
 1911年11月11日に死去した「川上音二郎」が、100回忌にあたる2010年、あの世から里帰りし、福岡の文化の力を結集し、博多座の「市民檜舞台」で大暴れいたします。

ごあいさつ

博多出身の演劇人川上音二郎については、現在でもその名を知らない人のほうが少ないくらいですが、その業績に関しては「オッペケペー節の芸人」という認識が大半を占めています。しかし、明治の日本と欧米を大評判のうちに駆け抜け、日本の近代演劇の扉を押し開けようとして大志半ばに散った獅子奮迅悪戦苦闘の人生を知る人は、残念ながら地元博多でも非常に少ないのが現状です。そうしたことから、5年前の音二郎の命日11月11日から毎年墓碑のあるのある承天寺において川上音二郎忌を開催して来ました。また各所の講演会においても音二郎の業績をお話して来ました。それは今年2010年が川上音二郎100回忌にあたり、市民の関心を高め、100回忌の年を飾ろうという目的があったからです。旧博多座が川上一座の杮落としで幕を開けたというゆかりもあり、「博多座」はもっともふさわしい舞台。『市民檜舞台の月』の機会をいただき、福博の劇団、各種団体の力を結集して川上音二郎そしてその妻、貞奴の人生を地元ならではの舞台にしてお送りいたします。

長谷川法世氏
「川上音二郎・貞奴物語」 制作実行委員会 代表 長谷川法世 漫画家。『博多っ子純情』やNHK朝ドラ「走らんか!」で全国に博多ブームを巻き起こした。平成15年より、「博多町家」ふるさと館館長。

非常識で、桁外れで、庶民に愛された音さん

「お侍の国」がひっくり返った明治維新。押し寄せる新しい時代の波に、13歳の音さんは博多を飛び出し挑んでいきました。そして18歳で出会った自由民権運動。「貧しい民衆に権利を!」と演説をする若き音さんに、庶民は熱狂していきます。新政府の激しい弾圧にもへこたれず演説を続ける音さん。逮捕された回数はなんと180回以上!ついには「全国での演説禁止命令」まで出る始末。しかし、「踏みにじられるほどに燃えてくる」のが音さんの凄いところ。演説がダメならと、世の不平を皮肉と笑いにつつんだ唄「オッペケペー節」を作り、これが日本中で大ヒット。またまた庶民の喝采を受けます。その後、人々に想いを伝える方法を探すうちに演劇と出会い、この演劇の世界でも音さんは大暴れしますが・・・。 今回の芝居は、「非常識で、桁外れで、庶民に愛された音さん」の知られざる一生を描きます。この芝居を見たら、きっとあなたも音さんのことを誰かに話したくなるはずです!

大塚ムネト氏
脚本・演出 大塚ムネト
(ギンギラ太陽's主宰)
1997 年、ギンギラ太陽's主宰となり作・演出も手がける。
地元密着にこだわり、地元起業を徹底取材、史実ありきの物語として作品化。キャラクターの象徴としての全てのかぶりモノの造型も行う。

  • 川上音二郎だ!長谷川法世がふるさと博多と川上音二郎・貞奴を語ります。
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